記事
2024/4/22(月)
まずは自分をたいせつに
聖書のことば「隣人を自分のように愛しなさい」マタイ 22:39チャプレン 司祭 ダビデ林 和広 おはようございます。元気ですか? 毎週、聖書のことばについてお話させていただいていますが、聖書のことばは、「〜しなさい」というような教えと言いますか、命令みたいな言葉があって、少ししんどい気持ちになってしまうようなことがありますね。「〜しなさい」と言われても、今はしたくないし、もっと自由に好きなようにやりたいと思うことがあると思います。仲良くしなさいと言われても、ケンカをしてしまうこともあるし、イヤな思いをすることもあります。それはそれで仕方のないことです。わたしたちは完璧な人間ではないので失敗するし、約束を破ってしまうこともあります。上手くできなくてもいい、でも、そうなれたら良いねって思いながら聖書のことばを聞いてくれたらうれしいです。 今朝の聖書のことばは、「隣人を自分のように愛しなさい」ということば。「隣人」(りんじん)とはみんなが出会う人たちです。「となりびと」ということもありますが、前、横、後にいるおともだちや先生みんなそうです。 その周りにいる人たちを自分のように愛しなさい、大切にしなさいと書いてあります。自分のように愛する、むずかしいですね。どういう意味なのでしょう。 みんな自分のことが好きですか?自分のことを大切にしていますか?自分はダメで、自分には何にもできないと思っていないですか?  自分のことを大切にして、自分のことを想う人は、周りの人のことも大切にできるし、周りの人のことを想うことができます。自分のココロの中が、うれしい気持ちでなかったら、周りの人にもうれしい気持ちを分け合うことはできません。自分のココロの中が、自分に対してやさしい気持ちでいっぱいであれば、周りの人にも優しいココロで出会うことができるのです。 みんな、神さまに創られた尊い存在です。みんな、大切な神さまのこどもです。 自分のことをたいせつにするココロを育ててくださいね。
神様のお話
2024/4/15(月)
牧羊幼稚園が大事にしているもの
聖書のことば「私たちは今すでに神の子どもです」ヨハネの手紙一 3:2チャプレン 司祭 ダビデ林 和広 おはようございます。元気ですか? 新しい学期が始まって最初の月曜日の礼拝です。先週、始業式、入園式がありまして新しいおともだちが入ってきましたね。うれしいですね。入園式の時、新しく入ってきたおともだちにみんないる「牧羊幼稚園」という名前についてのお話をしました。「牧羊」とは「羊を大切に育てる」という意味があります。羊はみんなが知っている動物の羊のことですが、聖書では「羊」と羊を育てる「羊飼い」のお話が出てきます。聖書の中にある詩篇という書物には「主は私の羊飼い」という詩があります。その詩の中では羊飼いは神さまのことを示し、羊はわたしたち人間のことを示しています。羊飼いはいつも羊といっしょにいます。羊飼いは羊一匹一匹に名前を付けて、その名前で呼びます。どんなにたくさんいても全部の名前を覚えています。羊飼いはいつもいっしょにいて、いろんなことから羊を守ります。怖い動物が来ても羊飼いは逃げません。命をかけて守ってくれるのです。同じように神さまはわたしたちの名前を知り、いつもいっしょにいて、守ってくれているのです。 今朝の聖書のことばは、「私たちは今すでに神の子どもです」ということばです。今朝のことばは、神さまはわたしたちを神さまの子どもとして大切に守ってくれているということばです。羊飼いと羊の関係と似ています。いつもいっしょにいて、大切にしてくれるということを伝えているのです。 牧羊幼稚園ではみんな一人ひとりが大切であるというココロを大事にしています。みんなの周りにいる先生たちはみんなのことを羊飼いとして大切に育ててくれます。羊飼いである神さまから遣わされた羊飼いとして、神さまといっしょになってみんなのことを大切にしてくれるのです。 みんなはこの幼稚園で大切に育てられることを通して、みんなの周りにいるおともだちを大切にするココロを広げていきます。自分が受けた優しいココロを周りのおともだちに分け合っていくことを学んでいくのです。 これから楽しみですね。今日も1日、楽しく元気に過ごせますように。
神様のお話
2024/3/11(月)
神さまからのお願い
聖書のことば「わたしはあなたの掟を楽しみとし御言葉を忘れません」詩篇 119:16チャプレン 司祭 ダビデ林 和広 おはようございます。元気ですか? いつも月曜日の礼拝のはじめに、私はみんなに「おはようございます、元気ですか?」と聞きますけど、みんなが「はーい」と応えてくれること、とってもうれしいです。礼拝の中でのお歌もお祈りもいつも大きな声で歌い、そして、大きな声でお祈りしてくれることもうれしく思います。 みんなの心の中にお歌やお祈りの言葉はちゃんとあって、それを覚えているのでお歌やお祈りのことばがでてくるのだと思います。 今朝の聖書のことばは「わたしはあなたの掟を楽しみとし、み言葉を忘れません」ということばです。「掟」ということば、難しいですね。簡単に言えば大切なこととして、覚えて欲しいこと、という意味です。今日の言葉は、詩篇というお詩の中にあることばですが、「あなたの掟」というのは、神さまからわたしたちに向かって、大切に覚えていて欲しいことです。神さまはわたしたちに何を覚えて欲しいと思っておられるのでしょうか。 ここでは詳しく書かれていませんが、ひとつ言えることは、神さまはわたしたち一人ひとりが、楽しく、元気に、生きてほしいと願っているということです。悲しくて泣いたりしているおともだちがいれば、涙を流した後は、また、元気を取り戻して欲しい、と願っているし、元気なおともだちは、泣いているおともだちがいれば、そばにいてあげて、お話を聞いてあげて欲しいと願っているのです。 聖書の中にはたくさんのことばが書かれていて、全部、覚えることはとっても難しいのですが、聖書全体が伝えていることは、みんなが生きているこの世界の中で、目には見えないけど、神さまは生きていて、いつもみんなのことを見守ってくれていて、みんな一人ひとりが、神さまからのお恵みをたくさん受けて、元気に、活き活きと生きて欲しいと願っておられるということなのです。🙂
神様のお話
2024/3/6(水)
3月のお話
 寒い日はありますが、暦の上ではもう春ですね。園の桜の木も芽が膨らんできているようです。生活発表会は全園児が出席で、どのクラスの子も緊張はしたと思いますが、その子なりに頑張っており、成長した姿が見られました。ご参列いただきありがとうございました。 過日バスに乗った時の出来事なのですが、女子高生が多数乗車しており、立っている人は私も含め数名でした。上ノ丸郵便局前のバス停から80代の杖をついたお婆さんが乗車されましたが、優先席に座っている学生も含め誰一人席を譲る人が無く、携帯を見ていたり、友だちとしゃべっていたりで、周りに関心を向けていない様子でした。私は学生が障害や体調不良があるかもとも思い、学生に声をかけようか迷いました。お婆さんに「大丈夫ですか?しっかりつかまってください。」と声をかけたら60代の女性が席を代わってくださいました。この出来事が残念に思い学校に電話をしたら「聞いていてとても恥ずかしいです」とのこと、「人権教育をされていると思いますが、学生さんたちにも気づきとなってほしい」とお伝えしました。週末に高齢女性2名とバスに乗車した時に同校学生がさっと立って席を譲っておりましたので、早速伝えてくださったのだと思いました。幼稚園でもこの話をし、「皆だったらどうする?」と聞いたところ年長さんが「お席かわってあげる」と言っていました。小さい子どもが席を立つと危険にもつながるので、「小学・中学とか大きくなったらね」と話しました。携帯に気をとられる人が多いこの頃ですが、子どもたちには自分の周りにも気配りのできる人に育っていってほしいと願っています。
園長先生の小窓
2024/3/4(月)
すべて、あたえられている
聖書のことば「成長させてくださったのは神です。」コリントⅠ 3:6チャプレン 司祭 ダビデ林 和広 おはようございます。元気ですか? 3月に入りましたね。これから春がやって来ます。まだまだ寒く、木にも葉っぱはついていないし、お花もそんなに咲いてはいませんが、これからあたたかくなって、新しい芽や若い葉っぱがしげってきます。公園とかに行くと少しずつ木のつぼみも見えてきています。桜も咲いて気持ちの良い季節に入ります。 幼稚園のお庭には桜の木やもみの木など、大きな木がありますが、季節の流れに沿っていろんな姿を見せてくれます。周りにいるわたしたちは何にもしてないのだけど、時が来るとだんだん変化してきます。空からの雨と太陽の光をあびて、そして、気温の変化によってどんどんと変わっていきます。不思議ですね。目には見えない大きな力を感じます。 今朝の聖書の言葉は「成長させてくださったのは神です」という言葉です。 わたしたちの生きている世界のあらゆるいのちある生き物、わたしたち人間もお花も木々もそうですが、すべて、空から降る雨、照らされる太陽、光、空気など、わたしたち人間の力では造り出せないものによって生かされています。わたしたちはこれらのお恵みがなければ生きてはいけないのです。わたしたちが食べる魚、お肉、野菜など食べる物すべて、いのちあるものですが、これらすべて、天の神さまからのお恵みによって生きており、また、わたしたちはこれらのいのちをいただいて生きているのです。全部つながっていて、それらは全部、自然の力、その自然を造られた神さまからあたえられているのです。
神様のお話
2024/2/26(月)
神さまの愛情を広げていく
聖書のことば「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」フィリピ 2:4チャプレン 司祭 ダビデ林 和広 おはようございます。元気ですか? みんながいる牧羊幼稚園のお庭には教会があって、聖堂の中や聖堂の屋根には十字架がありますね。幼稚園の屋根にもホールにも十字架がありますけど、十字架とははるかむかしにあった、罰として人がはりつけにされるというとってもこわい道具でした。しかし、そのこわい十字架に、神さまの独り子であるイエスさまがつけられた後、その十字架はイエスさまを通して、神さまからわたしたちにしめされる愛のしるしへと変えられました。教会やホールにある十字架は、神さまからみんなに与えられている愛のしるしなのです。 十字架のカタチは、たての線とよこの線とが重なり合ってできていますが、この2つの線には意味があります。神さまに祈るとき、礼拝をおささげしているとき、「十字を切る」ことがあります。「父と子と」と唱えるときに、額から胸に、上から下に向けてスーッと手を下ろし、そして、「聖霊のみ名によって」というとき、左の肩から右の肩に向けて横にスーッと手を動かします。たての線は、天の父なる神さまから子であるイエスさまに対する愛情が注がれることを意味し、よこの線は、聖霊の働きによって、この世界のすみずみまで、すべてのところに、その神さまの愛情がゆきわたること、そのことを意味します。教会の屋根の十字架は丸い円で囲まれていますが、この丸い円は「ずっと(永遠に)」とか「互いにつながっている」ということをあらわしています。丸い円で囲まれた十字架は、「ずっと、神さまからの愛情は広げられている」ということを周りに伝えるしるしです。 今朝の聖書の言葉は、「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」ということばです。自分のことだけでなく、周りのおともだちのことを大切に想ってね、というメッセージです。さきほど、十字架のこと、十字架を来ることのお話をしましたが、みんなには天の父なる神さまからたくさんの愛情、優しいココロが注がれているのです。その神さまからの優しいココロを前、後、横にいる、みんなの周りにいる先生、おともだちすべてに分かち合う、広げていくこと、これが今日、みんなに伝えた聖書の言葉の意味です。十字架を見るとき、このことを思い出してくれたらうれしいです🙂
神様のお話
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